禅仏教の創始者・菩提達磨
菩提達磨(ボーディダルマ)は禅仏教の創始者で、インドから中国に仏教の新しい形「禅(瞑想仏教)」を伝えました。菩提達磨は日本では達磨大師とよばれ、手足のない赤い置物「だるまさん」として親しまれています。達磨大師は古代仏教のあと、仏教の進化を語るうえで欠かせない人です。達磨大師は517年にインドを発ち、520年に中国南部に到着したといわれています。これまでインドから世界各地に渡った僧侶は仏教の経典を伝えることが目的でしたが、達磨大師は異なりました。
達磨大師は坐禅によって悟りを開いた
ブッダ入滅後の仏教はブッダの教えを経典にまとめ、仏法を知識として会得することが主流でした。教団内では様々な議論や論争が繰り返され、多くの経典がつくられました。当時の僧侶は経典を学ぶことによって、悟りへの到達を目指していました。
しかし、達磨大師はブッダがどのように悟りを開いたのか?という点に着目しました。ブッダはブッダガヤの菩提樹の下で坐禅(瞑想)をして悟りを開いたといわれています。達磨大師はブッダと同じように坐禅を繰り返し、悟りとは禅の実践であることを経験し、禅の布教のために放浪旅をはじめました。
仏法の真理「空」
中国北部に渡り、街角でひたすら坐禅修行に励む達磨大師は変わり者の僧侶として評判になっていました。当時中国北部は魏という国で、武帝が国を治めていました。武帝は仏教の熱烈な信者で、仏教を厚く庇護をしていたことで有名です。
達磨大師の評判は武帝の耳にも入り、ある日宮廷に召喚されます。 武帝は宮廷に達磨大師を招くと、こんな質問をしました。 「朕はこれまで仏教に帰依し壮大な寺院を寄進し、多くの僧侶を養成してきた。 仏教の興隆に多大な尽力してきたが、、 これまでの優れた取り組みからもたらされる功徳はどれほどであろうか?」 達磨大師はこう答えました。 「何もない!」 困惑した武帝はさらに尋ねました。 「神聖な真理とはなにか?」 「何もない!空である。」 達磨大師は先ほどと同じように答えました。 この答えに憤慨した武帝が 「お前は誰に向かって話している?」と尋ねると、 達磨大師は「わからない」と答えました。
このあと、武帝と達磨大師がどのような話をしたのかはわかりませんが、達磨大師は処罰を受けることもなく、解放されととされています。
功徳とは巨額の布施で得られるものでないことを武帝が理解したのです。武帝と達磨大師のやり取りは、今日の禅の教えに通じています。達磨大師は経典の研究による悟りの会得を拒絶し、あくまで実践であることを示しつづけました。
少林寺と達磨大師
達磨大師は中国の北部にある嵩山にある少林寺で長年修行をしました。少林寺は少林寺拳法発祥の地として知られ、禅の影響を深く受けています。達磨大師は少林寺の洞窟内で、悟りを開きました。伝説によると達磨大師は9年間洞窟内の壁に向かって坐禅をし続けた結果、腕と足が衰退してしまったとされています。この伝説が手足のない「だるまさん」の起源とされています。
また他の伝説によると、お茶の起源も達磨大師にあるといいます。達磨大師は瞑想修行中に居眠り防止のために自分のまゆげを引き抜いていました。眉毛の落ちたところからお茶が発芽し、茂みになったといわれています。
達磨大師と慧可
達磨大師には慧可(えか)という一番弟子がいます。達磨大師と慧可のエピソードもまた深いのでご紹介します。
ある日1人の修行僧・慧可が達磨大師のもとへ訪れ、弟子入りを願い出ました。 しかし達磨大師は壁に向かって坐禅をし続け、慧可を無視し続けました。 慧可は毎日入門を懇願しましたが、達磨大師は一向に返事をしません。 最終的に慧可は自分の腕を切り落とし、最後の懇願をしました。 「あなたの弟子の心は平穏でありません。わたしの心を平穏にして頂きたい!」 ついに達磨大師は慧可の入門を受け入れ、こう言いました。 「慧可よ、悟ることです。あなたの心を私に持ってきなさい。」
禅宗の教義には「不立文字(ふりゅうもんじ)」と「教外別伝(きょうげべつでん)」があります。
- 不立文字(ふりゅうもんじ)とは…禅の悟りが言葉で言い表せない、文字のなかに心理はない。
- 教外別伝(きょうげべつでん)とは…悟りは経典からおしえられるものではなく、心から心に伝承するもの。
この2つの教義から達磨大師は、完全に心が通い合わない慧可の入門を拒否していたといわれています。それでも諦めずに弟子入りを懇願し続けた慧可は達磨大師の弟子となり、達磨大師から禅の奥義を体得しました。慧可は禅仏教の二代目の教主に任命され、慧可のもとには大勢の弟子が集まり、禅仏教は大きく繁栄していきます。
日本にも影響を与えた禅仏教
達磨大師は仏教の第28代目の教主で、禅仏教の創始者です。禅は中国で広がり6つの宗派が生まれます。日本には栄西が臨済宗を取り入れ建仁寺を開山し、道元が曹洞宗を永平寺に開山します。
現在禅はマインドフルネスの実践として世界中に広がり、宗教信仰としての概念ではなく哲学の実践として取り入れられています。禅の実践は精神と肉体のバランスを保ち、穏やかに心身が豊かになります。
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