【詩仙堂】秋の紅葉の名所と知られる山荘

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詩仙堂のおすすめ

詩仙堂のみどころは四季折々の庭園美です。春のサツキと秋の紅葉が有名で、詩仙の間から眺める庭園は絵画のようです。秋は日中の光が織りなす紅葉の陰影が美しさを引き立てます。サツキのグリーンの葉と赤く染まったもみじのコントラストもみどころです。

詩仙堂は詩仙の間から眺める景色がもっとも有名です。JR東海「そうだ京都、いこう」のCMにも取り上げられ、京都屈指の名所として知られています。

詩仙堂 丈山寺

「詩仙堂 丈山寺」は、京都の紅葉スポットとして有名な寺社仏閣のひとつです。正式には「凹凸窠(おうとつか)」という名称で、でこぼこした土地に建てられた住居という意味で名づけられました。詩仙堂」はその一部になります。

詩仙堂は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した石川丈山が晩年に過ごすために建てた山荘です。現在は曹洞宗永平寺の末寺で「丈山寺」とも呼ばれています。静寂な境内と四季折々の風景が楽しめる庭園が人気で、サツキの見頃と紅葉シーズンになると多くの観光客が訪れます。

詩仙堂 丈山寺のはじまり

詩仙堂は江戸時代初期に石川丈山が造営した隠居のための山荘です。1641年(寛永18年)、丈山が59歳の時に造営され、丈山が90歳で亡くなるまで生活をしていたそうです。四季折々の草花が楽しめる庭園は石川丈山の作庭といわれており、詩仙堂の名称は中国の詩歌・三十六歌仙から名づけられました。日本庭園でよくみられる「鹿(しし)おどし」が初めて採用された場所でもあります。

石川丈山

出典:https://www.instagram.com/p/CQugFCLpfXS/

石川丈山(1583年~1672年)は、安土桃屋化時代から戦国時代にかけて活躍した武将です。徳川家の譜代家臣として徳川家に仕えました。丈山は33歳で武士を引退し、90歳で没するまで朱子学を極め、禅を学び広島で仕官として働き、文人になりました。59歳のときに詩仙堂を造営し、漢詩や書・庭の造営に励んだといわれています。

数々の歴史に舞台となった「一乗寺」

一乗寺には、江戸初期に剣豪・宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したという伝説が残る「一乗寺下り松の決闘之地」の石碑や、楠木正成の陣所跡の碑があります。一乗寺駅から詩仙堂までの道沿いに石碑があり、一乗寺が歴史の舞台として、さまざまなことを経験した土地であることを感じることができます。

詩仙堂の境内

詩仙堂は「凹凸窠(おうとつか)」の名称のとおり、でこぼこした土地にあり、境内の場所ごとに異なる風景を見ることができます。丈山は庭園造営の名手としても名高く、凹凸窠に十境と呼ばれる見どころを配しています。十境は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素のことを指します。

詩仙の間

詩仙の間はCMやポスターでおなじみの詩仙堂内で一番有名な場所です。詩仙の間からの風景は建物が見事な額縁となり一枚の絵画のようです。庭園を楽しむために建物と草木が効果的に配置され、日本庭園の美しさが際立っています。その瞬間にしか味わえない四季の美しさに触れられます。

詩仙堂の文化財

詩仙堂は、石川丈山の書を中心として寺宝が数多く遺っています。多くの作品は通常非公開で、毎年5月25日~27日の3日間のみ「丈山翁遺宝展」が開催され、一般公開されます。

三十六歌仙の肖像画

出典:https://www.instagram.com/p/BjPIyC2AijA/

詩仙の間の四方の頭上に掲げられているのが、中国の漢詩人三十六人の肖像画です。石川丈山が三十六詩人の選定をし、代表的な漢詩が記されています。詩人と詩の選定には、朱子学の儒学者として有名な林羅山の意見を求めたと云われています。

詩人の坐像については狩野探幽が筆をとり、詩は丈山得意の隷書体で書かれています。ここだけでも丈山の詩仙堂に対する想いの深さを感じます。

詩仙堂の御朱印

詩仙堂の情報

寺院名 詩仙堂 丈山寺(しせんどう じょうざんじ)
住所 〒606-8154 京都市左京区一乗寺門口町27
電話番号 075-781-2954
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 大人:500円  高校生:400円  小・中学生:200円
公式サイト 詩仙堂丈山寺公式サイト
備考  
 
 
 
 
 
 

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