施福寺のみどころ
施福寺のみどころは本堂に安置されている仏像です。本堂までの道のりが険しすぎることもあり、頂上に到着し、仏像と対面した時の安堵感がたまりません。施福寺の本堂には本尊の弥勒菩薩を中心に、脇侍に文殊菩薩と普賢菩薩、周囲には四天王を配置しており、いずれも2mを超える大型の仏像です。西国三十三所の観音菩薩・十一面千手観音菩薩も同様の場所に安置され、豪華で神々しい内陣です。
内陣の奥にもさまざまな仏像が安置され、仏像による曼荼羅が鑑賞できます。内陣の仏像は撮影可能で、困難を乗り越えるといいことがある!と実感をしました。施福寺は西国三十三所霊場で最も過酷な難所とよばれており、約1kmに及ぶ傾斜が強い坂道と石段が険しく、途中で諦める人もいます。ただ登った先にある本堂の内陣の仏像に心を洗われる瞬間がとても気持ちがいいです。
それまで身体中にまとわりついていた数百匹?の虫たちも、なぜか本堂に入るといなくなり、さまざまな煩わしさから解放されます。施福寺の道のりは山深い場所にあり、夏場は大量の虫が身体にまとわりつきます。マダニも多く刺されることもあるそうなので、虫よけ対策が必須です。虫が苦手な人は寒い時期に行くのが安全かもしれません。
槇尾山 施福寺
槇尾山 施福寺は西国三十三所霊場の第4番札所として知られ、空海が唐から帰国した際に施福寺で出家剃髪をしたという云い伝えがあります。修験道の修行場としても知られており、本堂までの参道の険しさは西国三十三所霊場随一ともいわれています。
日本唯一の足守の馬頭観音と開運の方違観音を祀る寺院として、足腰の健康祈願や結婚・転勤・転職などの吉方祈願にご利益があります。本堂にはさまざまな仏像が安置され、これまでは秘仏とされていましたが、現在は立体マンダラ仏の世界として通常公開とともに撮影OKになりました。
施福寺のはじまり
施福寺のはじまりは奈良時代に葛城氏系統の修験寺院として創建されたといわれています。「槇尾山大縁起」によると修験道の開祖・役小角(えんのおぬづ)や空海・最澄と深いかかわりがあり、役小角は自らが書写した経典の巻をこの地に埋納したとされ、槇尾山(巻尾山)の命名由来であるという伝承もあります。
空海は793年にこの地で剃髪出家をしたという云いつたえがあり、現在は塚が残されています。空海の剃髪については史実と異なる可能性が高いですが、この地に滞在した史実は別の資料からも確認できます。
施福寺は9世紀前半には著名な寺院で、全盛期には70もの塔頭があったとされていますが、南北朝や戦国時代に戦乱に巻き込まれることが多く、寺は衰退していきました。
西国三十三所霊場 第4番札所
施福寺は西国三十三所霊場の第4番札所で、西国三十三所霊場でもっとも険しい難所として有名です。札所本尊は十一面千手観音菩薩像で本堂の内陣に安置されています。ほかの札所寺院と異なり、一般拝観が可能でさらにカメラやスマホでの撮影が可能です。参道が厳しいからこそ、ご本尊を目の当たりにしたときの喜びは一入です。
西国三十三カ所観音霊場 第四番札所 施福寺
本尊:十一面千手観世音菩薩
ご詠歌:深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)松原わけゆけば 巻の尾寺(まきのおてら)に駒ぞいさめる
施福寺の境内
施福寺の境内は山門から本堂まで約1kmの参道が続き、道中には苔むした石垣があります。石垣は火災で失われた塔頭寺院の跡で、全盛期には多くの御堂があったそうです。駐車場から山門までの坂道もまた傾斜がキツく、さらに本堂まで石段が続きます。これまで行った寺院のなかでも参道がかなり険しく、虫の多さも桁外れなので、十分装備を備えて参拝するのがおすすめdす。
仁王門
仁王門は織田信長によって焼き払われ、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼によって再建されました。門の脇侍である仁王像は鎌倉時代につくられており、度重なる戦火や山火事を免れ、現在に至ります。一般的な阿吽像と異なり逆に配置されているため、珍しい仁王門といえます。
本堂
本堂は江戸時代後期・安政期(1854年-1860年)に再建された御堂です。古刹の風情が漂う本堂で、堂内に祀られている仏像を間近に鑑賞できます。施福寺の夏の参道は虫が多く、身体中にまとわりつくのですが、なぜか本堂に入ると煩わしかった虫がいなくなり、不思議な感覚を憶えました。
石段
施福寺は山門から本堂まで約30~40分の石段を歩きます。総数900段の石段は場所によって幅や高さが異なり、変化を楽しめるハイキングコースです。わたしの場合、日頃の運動不足と大量の虫によって、ハイキングを楽しむ余裕がありませんでしたが、しっかり虫よけを完備しゆっくりペース配分をしながら登ると、さまざまな発見があるかもしれません。
施福寺の仏像
施福寺の本堂は立体マンダラ仏の世界に看板のとおり、たくさんの仏像が祀られており、仏像観賞スポットとして楽しめます。以前は秘仏とされていたようですが、現在は一般公開され、撮影も可能です。
弥勒菩薩坐像と脇侍
本堂に入ると内陣には丈六(約5m)の本尊・弥勒菩薩像が鎮座し、文殊菩薩と十一面千手観音菩薩・四天王が脇侍を固めています。弥勒菩薩像は前傾姿勢になっており、ちょうど中心で膝をつくと目が合います。約40分間ひたすら山道を上がってきて、諦めなかったことを褒めてくれているかのような柔和な表情が特徴です。脇侍の四天王像は彩色が鮮やかに残っており、力強い姿が印象的です。
十一面千手観音菩薩像と兼六
十一面千手観音菩薩は本尊・弥勒菩薩像の左脇侍で、西国三十三所霊場の札所本尊です。約2mほどの大きな菩薩像で江戸時代に再興されています。ふくよかな顔立ちで堂々とした姿は菩薩というよりも如来といった雰囲気です。さまざまな法具を持っており、精巧につくられています。頭上には十一面の顔面を持っており、ひとつひとつ異なる顔の表情もポイントです。
十一面千手観音菩薩像の裏側の後堂には壁面にさまざまな仏像が配置されています。総数28体の仏像は儒一面千手観音菩薩像を守護する28部衆だそうです。28部衆は動きのある仏像が多く、仏像にあまり興味ががない人でも楽しく鑑賞できるでしょう。
方違観音菩薩
本堂の内陣を左に進むと方違観音菩薩像が目に入ります。2m超の菩薩坐像で、吉方に導いてくれる観音菩薩です。「凶」の方向を「吉」に転じてくれるため、結婚や転勤・転職・旅行など人生の変わり目や移動にご利益があります。方違観音菩薩は日本国内唯一施福寺のみでみられる菩薩像だそうです。
馬頭観音
施福寺の仏像でとりわけ有名なののが足守馬頭観音です。全国に馬頭観音像は数多くありますが、足の裏が見えるのは施福寺の馬頭観音像のみで、足守馬頭観音とよばれています。施福寺では人間の生命力でもっとも大事な場所を「足」と捉え、足腰の健康を祈願する人が絶えません。たしかに施福寺の参道を歩いていると、足腰が鍛えられそうなので足腰祈願のご利益を十分いただけそうです。
施福寺の情報
寺院名 | 施福寺(せふくじ) |
住所 | 〒594-1131 大阪府和泉市槇尾山町136 |
電話番号 | 0725-92-2332 |
拝観時間 | 8:00~17:00 |
拝観料金 | 本堂 500円 |
公式サイト | なし |
備考 |
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