【臨済宗】について知ると京都のお寺めぐりがさらに楽しめる!

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「禅宗」という宗派は存在しない

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禅宗とは一般的に坐禅を用いて修行を行う宗派の総称として用いられている言葉です。日本では臨済宗・曹洞宗・黄檗宗を指しますが、それぞれ別の教義をもっているため、禅宗という単一の宗派は存在しません。

2019年には臨済宗と曹洞宗が教科書5社の対し「禅宗ではなく、個別の宗派を記載してほしい」と要望書を提出しています。浄土宗や浄土真宗など別の宗派は個別で記載されるのに対し、禅宗は一括りにされる傾向がありました。禅宗とは「坐禅を用いて仏法を極めるひとつのジャンル」として捉えるのが適切のようです。

武士の精神とマッチングした禅宗

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禅宗(坐禅を用いた精神統一によって仏法を極める教義)は、鎌倉時代にはじめて伝わりました。禅宗は自己の修行や努力によって仏になることを目的としており、坐禅によって悟りの境地を導きます。平安時代までに流行した「阿弥陀如来の本願を信じればいかなるものも救われる」という他力本願ではなく自己鍛錬を必要とする立場は、武士の精神と相通じるものがあり、武士のあいだで篤く信仰されました。

日本の禅宗は臨済宗・曹洞宗・黄檗宗が代表的で、日本にはじめてもたらされた禅宗は臨済宗です。臨済宗は幕府に庇護されたため、京都や鎌倉に多くの寺院があります。一方曹洞宗は地方武士からの信仰が篤く、東北地方や愛知県に多いです。黄檗宗は少し遅れて江戸時代にもたらされ、沢庵が日本に取り入れたことで知られています。

臨済宗とは

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日本の臨済宗は鎌倉時代のはじめに栄西によってもたらされました。臨済宗の起源は中国南宗の慧能(えのう)の教えで、「坐禅と禅問答の実践によって悟りの境地に達する」と説いています。中国の禅宗は大きく2つの宗派に分かれており、中国北部の神秀(じんしゅう)による「漸語(ぜんご)」と中国南部の慧能による「頓悟(とんご)」があります。

2つの宗派は啓蒙の速さが正反対で、「漸語(ぜんご)」が悟りの境地はゆるやかに達すると説いているのに対し「頓悟(とんご)」は悟りの境地は突然やってくると教えています。

臨済宗は「悟りの境地は突然やってくる」という頓悟の教えに基づいています。修行には警策(けいさく)と呼ばれる棒を用い、「喝!」という表現で叫びます。修行僧は禅師から与えられる禅問答という課題に取り組み、悟りへの探求を続けます。悟りの探求は公案と呼ばれ、修行プロセスは禅師と修行僧のダイナミックなやり取りによって行われます。

「両手を打つと音が響きます。しかし、片手ではどんな音がするでしょう」

臨済宗中興の祖・白隠慧鶴禅師「禅問答」より 

禅問答は論理的ではなく、逆説的であることから非常に難しいとされています。この方法は修行僧に精神的な危機をもたらすように設計されており、修行僧は老師のポイントをつくことによって悟りの経験ができます。悟りは「心が静寂で根源の真理にいること」を指します。

日本にもたらされた臨済宗

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日本にはじめて禅の教えをもたらしたのは、鎌倉時代の僧・栄西です。日本禅の父・栄西は、日本で最初の禅寺と僧堂(禅の修行道場)をつくり、臨済宗を開基しました。また日本に緑茶を取り入れた第一人者としても知られています。

中国で禅宗を学んだ栄西

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もともと天台宗の僧であった栄西は1168年に中国に渡り、中国で天台仏教の勉強をしました。1187年の2回目の訪中では中国南部の禅宗(南宗)の禅師のもとで3年間の修行を経て、悟りに到達したといわれています。栄西は印可証明を下賜され、1192年に日本に帰国します。※印可証明(師僧が弟子が悟りを得たことを証明認可すること)

1192年は日本の歴史上きわめて重要な年のひとつです。日本でははじめて朝廷から幕府に政権が交代し、将軍・源頼朝が日本を統治し始めました。臨済宗をはじめとした禅宗は、幕府や武士との密接なかかわりあいによって大きな発展を遂げ、今日に至る武士道に大きな影響をもたらしています。

栄西による臨済宗の布教

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栄西は帰国後10年間福岡に滞在し、日本で最初の禅寺・聖福寺を建立しました。そこでは中国禅と真言宗の要素を混合した禅の形式を教えました。その後京都に向かいましたが、京都は天台宗の道場である比叡山の麓にあったため比叡山からの抵抗が強く、布教は困難を極めました。

栄西は京都をはじめとした西日本の布教を一時中断し、実質的な政治が行われている鎌倉に向かうことにしました。鎌倉では源頼朝の妻・北条政子の信任を得ることに成功し、1200年に2番目の僧堂・寿福寺を建てました。

鎌倉幕府の支援のもと、再び京都に戻った栄西は建仁寺を建立しています。当時建仁寺は禅宗の専門道場ではなく、天台宗や真言宗などの旧来からの宗派との協調を図ることを目的とされた僧堂でした。

臨済宗は鎌倉幕府の庇護によって、京都と鎌倉に大きな禅堂や僧堂を建立し、現在も多くの大規模な寺院があります。幕府は鎌倉にある臨済宗の寺院に対し、寺格をあらわす五山制度が定め、臨済宗の保護を積極的に行いました。室町幕府も同様に臨済宗を保護したことにより、臨済宗は幕府と密接な関係を築き、日本の政治に勢力的に介入していきます。

臨済宗と五山制度

臨済宗は栄西の死後、鎌倉幕府によって独立した宗派として認められました。幕府は臨済宗の寺院と僧院(道場)を3つに構成し、幕府の庇護のもと寺格制度を採用しました。

最も重要な寺院は五山(ござん)とよばれ、中国寺院の区分を参考にしています。五山は時代を超えて変化しましたが、鎌倉と京都にあります。次に十刹(じっせつ・次に選ばれた10の重要な寺院)と小山(しょうざん・その他の主要寺院 ※これらはほぼ鎌倉と京都以外の場所にある)が続きます。

京都五山

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別格  南禅寺(なんぜんじ)
第一位 天龍寺(てんりゅうじ)
第二位 相国寺(しょうこくじ)
第三位 建仁寺(けんにんじ)
第四位 東福寺(とうふくじ)
第五位 万寿寺(まんじゅじ)

鎌倉五山

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第一位 建長寺(けんちょうじ)
第二位 円覚寺(えんがくじ)
第三位 寿福寺(じゅふくじ)
第四位 淨智寺(じょうちじ)
第五位 淨妙寺(じょうみょうじ)

日本にはじめてお茶の栽培を取り入れた栄西

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わたしたちに身近な栄西の功績は、日本にお茶の栽培を導入したことです。栄西はお茶の飲み方についての書籍「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を執筆し、酒を除く健康の基礎はお茶であると主張しました。緑茶は坐禅(瞑想の修行)のあいだ、禅僧を目覚め続けさせるために飲用され、茶の湯などの儀式の中心でも利用されました。

宋から持ち帰られたお茶の種は佐賀県脊振山(せぶりさん)の茶園で栽培され、その後明恵上人が栄西から受け取った種子を京都の栂ノ尾(とがのお)で栽培したのが現在の宇治茶のはじまりです。栂ノ尾の茶園は日本最古の茶園として、現在も高山寺にあり茶の栽培がわれています。

臨済宗の寺院で坐禅や写経の体験をしてみよう

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臨済宗の寺院では一般参拝客向けの坐禅や写経体験を実施しています。京都では建仁寺や南禅寺などが有名で、鎌倉の建長寺でも行われています。事前予約が必要になる場合がほとんどなので、旅行前に下調べするとよいでしょう。

坐禅や写経体験のあとには、お坊さんの説法を聴けることが多いです。日頃の生活のヒントや心を軽くしてくれるお話など、タメになるお話が多いので必見です。コロナ禍でストレスを抱えることが多いでので、そのときは坐禅や写経で心を開放してみてください。

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