長崎・興福寺のみどころ
長崎・興福寺のみどころは三江会所門(さんこうかいしょもん)です。門の中に見える庭園が私の心を奪いました。中国のティーサロンのような雰囲気で、唐服をまとった貴族や華人が詩を読んでいる姿が目に浮かびます。高貴な気分に浸れるこの景色が、興福寺のなかでわたしの一番お気に入りです。
中国の優雅な風景が好きな私としては、当時の華僑の人々の想いを感じずにはいられません。精巧な彫刻も含め、長崎唐寺ならではの寺院拝観が楽しめます。
黄檗宗 東明山 興福寺
長崎・興福寺は、朱色の山門が朱いことから「あか寺」と呼ばれ、長崎の人々から親しまれてきた黄檗宗の禅寺です。崇福寺、福済寺と並ぶ「長崎三福寺」のひとつと数えられています。信徒の多くが福建省・浙江省・江蘇省出身のため「南京寺」とも呼ばれています。
日本に黄檗宗を伝えた隠元和尚が日本ではじめて滞在したお寺で、黄檗宗のなかではもっとも古い寺院です。長崎は江戸時代に中国との貿易が盛んに行われていたため、多くの唐人が住んでおり、海上の安全祈願する媽祖堂(まそどう)が建てられました。南方風の境内をもつ興福寺は日本のなかに中国のようで、多くの唐人の心を癒したことでしょう。
長崎・興福寺のはじまり
長崎・興福寺は1620年(元和6年)に中国の僧・真円が航海安全を祈願するために庵をつくったのがはじまりです。1654年(承応3年)には、中国の高僧・隠元和尚が中国からはじめて来日し、興福寺に住持し住職となりました。興福寺は隠元和尚が日本ではじめて黄檗宗を開基した寺院としても有名です。
江戸時代に日本の禅宗の法式正伝が衰退していくなかで、本場の禅宗の日本伝承を願い、隠元和尚を日本に招いたことが黄檗宗のはじまりとなりました。長崎三唐寺と檀家衆が中心となり、隠元和尚の招請を成功させたといわれています。隠元和尚は興福寺の中興の祖として大きく掲げられています。
日本に禅を広めた隠元和尚と黄檗宗
隠元和尚は日本黄檗宗の開祖として知られています。隠元和尚は中国・福建省の黄檗山にある臨済宗の道場で修行していました。46歳の時に萬福寺の住職となり中国に名声を轟かせ、その評判は日本国内にも伝わっていました。当時日本の禅宗は下火だったこともあり、禅宗再興の目的で隠元和尚の招請をし、禅宗を再興させたといわれています。
御水尾天皇をはじめ諸国の有力大名の庇護を受け、全国に1000カ寺の末寺を持ち、江戸時代にもっとも隆盛を極めました。当時は臨済正宗と呼ばれていましたが、明治に入って臨済宗と区別をするために「黄檗宗」と名づけられました。黄檗宗は中国臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師と達磨大師を宗祖として仰いでいます。
隠元和尚はインゲン豆をはじめて日本に伝えたことが有名です。インゲン豆の名称の起源でもあり、来日した際に中国から日本に持ち込まれました。もとは中南米原産の豆で、ヨーロッパからユーラシア大陸に渡り、隠元和尚によって日本に伝来しました。ほかにも、日本に煎茶を伝えるなど、日本の食文化に大きな影響を与えています。
隠元和尚と普茶料理
普茶料理は隠元和尚が日本に伝えた食文化のひとつです。中国式の精進料理を指し、和式とは異なる食法です。普茶料理の特徴は円卓を数人で囲み上下の身分関係なく同じ食卓で食事をする方式で、黄檗宗独特の習慣です。
隠元和尚はインゲン豆以外に、茄子、カボチャ、落花生などの食材も日本に持ち込んだと言われています。このような食材は普茶料理に使われたことがはじまりで、現在では日本の家庭に欠かせないものとなりました。
長崎・興福寺の境内
「あか寺」の朱色の山門をくぐり、階段を上がると境内に出ます。ソテツが大雄宝殿の前に並び、九州らしさを感じます。境内は丁寧に整備されていて、さわやかな印象の唐寺です。長崎三唐寺のひとつで、日本の寺社建築とは異なり、中国寺院の様式を取り入れています。江戸時代から日本のなかの中国として多くの唐人の心を癒してきました。
国重要文化財 大雄宝殿
大雄宝殿は興福寺の本堂に当たる御堂で、隠元和尚筆の「大雄宝殿」と書かれた扁額が掲げられています。堂内には釈迦如来・観音菩薩・地蔵菩薩が祀られています。堂内の仏像もまた日本の仏像の「雰囲気とは異なり、中国の顔立ちをしているのが特徴です。建具は中国人の優れた建築技法が光る彫刻が施されており、国重要指定文化財に指定されています。
三江会所門(さんこうかいしょもん)
三江会所門は、中国の三江(江南・浙江・江西)出身者の集会所として建てられました。三江出身者の霊をまつる三江祠堂として、三江出身者の積み立てによって建てられました。
会所は法事や会合で賑わいましたが、1945年(昭和20年)の長崎原爆により、門だけが残りました。敷居が高い門は「豚返し」という中国の様式が採用されており、門内に豚が入らないように工夫されています。
門のなかの雰囲気が当時の会所を彷彿させる優雅なサロンの雰囲気です。現在は興福寺の仏前式のサロンとして使用されているようです。
鐘鼓楼(しょうころう)
鐘鼓楼は中国工匠による純粋な中国建築が多い興福寺の中で珍しい和風建築です。屋根の鬼瓦の外向きが鬼面、内向きが福面で「鬼は外、福は内」を現わしています。
長崎・興福寺の芸術
長崎・興福寺の芸術と言えば、中国工匠の優れた技術による彫刻です。日本建築とは異なる中国独自の技法もまた興味深く、当時の華僑の祖国に対する熱い想いが感じられます。
大雄宝殿
大遊宝殿の建築は中国から資材を運び、中国工匠が建設した純粋な中国建築です。瓦屋根の両端の跳ね上がり、円形のマル窓や格子、アーチ形の天井などは、中国明清風を取り入れています。中国人の優れた建築技法は見入るばかりです。
興福寺は境内に媽祖堂があり、海の安全を守る神様「媽祖(まそ」が祀られています。長崎の唐寺は、中国から船を渡って往来する華僑を守る役割が強かったことがわかります。
氷裂式組子は、氷を砕いたような文様で大変珍しい彫刻です。釘を一切使わずに、ノミやカンナで1本ずつ組付けしています。戦前には格子に硝子が貼られており、ステンドグラスのように見事な美しさだったそうですが、硝子が原爆の爆風と共に大破し、現在は遺っていません。
長崎・興福寺の催し
長崎・興福寺の代表的な催しは長崎ランタンフェスティバルです。長崎ランタンフェスティバルは、旧暦の正月を祝うイベントで中国の春節祭です。街中に提灯と巨大なモニュメントが飾られ、1年でもっとも長崎が盛り上がる時期です。各会場でさまざまなショーも行われ、1日中にぎやかなお祭りが楽しめます。
長崎ランタンフェスティバル
長崎・興福寺は、長崎の風物詩「長崎ランタンフェスティバル」の会場のひとつです。山門から中国提灯やオブジェが並び、煌びやかになります。媽祖堂内には豪華な供物が捧げられ、春節のお祝いの喜びが伝わります。時間帯によっては日本では滅多にみられない珍しいショーが観られます。春節祭の美しい興福寺は必見です。
長崎・興福寺の御朱印
長崎・興福寺の情報
寺院名 | 興福寺(こうふくじ) |
住所 | 〒850-0872 長崎県長崎市寺町4-32 |
電話番号 | 095-822-1076 |
拝観時間 | 7:00~17:00 |
拝観料 | 大人:300円 中・高生:200円 小学生:100円 |
公式サイト | 東明山興福寺公式サイト |
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