日本の仏教って何?歴史をわかりやすく簡単におさらい!

お寺と神社
スポンサーリンク

日本仏教のはじまり

日本の仏教は6世紀中頃に韓国(百済)から伝わったのがはじまりです。飛鳥時代から明治維新まで、仏教は神道(日本古来の土着信仰)を退き、日本の主要な宗教として確固たる地位を築きました。

仏教が伝わる前の日本は八百万の神(神道)を信仰しており、特定の神様ではなく自然界そのものを崇めていました。ある時大陸から仏像が漂流し仏教が伝来したことから、日本の仏教は始まります。

仏教は仏への信仰だけでなく、国を統治するために活用できる画期的な教えが含まれており、当時の国の中枢にいた貴族から大きな関心を寄せられていました。

新たな信仰である仏教を積極的に取り入れようとしたのが蘇我氏です。しかし物部氏はこれまでの土着信仰を守り、新たな信仰を否定しました。仏教を受け入れるか否かの論争は崇仏廃仏論争と呼ばれ、結果的に崇仏派の蘇我氏が勝利したため、仏教は積極的に導入され始めます。

物部氏に勝利した蘇我馬子は、聖徳太子(574年-664年)とともに仏教を積極的に導入し、仏教的要素を取り込みながら、日本を国家として確立しました。

奈良時代の仏教

日本の初期仏教は大乗仏教と上座部仏教の両方と中国仏教をモデルに形成されました。奈良時代に遣隋使が中国に渡り、仏教のさまざまな文化や制度を日本に持ち帰り、日本の法制度や都の形成など、日本の国家制度は中国の様式を忠実に再現しています。

聖武天皇(701年-756年)は深く仏教に帰依したことでも知られ、仏教による国家統治を積極的に行いました。国家鎮護を目指し奈良に巨大な大仏を造立したり、国分寺と呼ばれる官寺を全国に配置したことで知られています。

天皇が仏教に深く帰依することによって、仏教は日本の政治に大きな力を持ち、寺院や僧が次第に権力を握るようになりました。奈良時代には大きな寺院や仏像が次々に建立され、僧侶が政治に口を出すことが増え、日本の仏教は政治と密接な関係を築いていきます。

日本の禅宗の歴史としては、奈良時代に法相宗の開祖・道昭(629年-700年)が中国南部の禅宗を取り入れたのが最初といわれていますが、禅が根づくまでにはさらに5世紀の歳月がかかります。

平安時代の仏教

平安時代(794年-1185年)のはじまりは桓武天皇の平安京(京都)遷都です。背景には奈良仏教の寺院や僧侶の行き過ぎた政治介入を排除するためだったといわれています。

平安時代になると密教が伝わり、国家の公式な信仰としての天台宗と真言宗が保護されるようになります。天台宗は最澄が開基し、真言宗は空海が開基したことで知られています。

出典:https://www.instagram.com/p/CELdGYjD82w/

また唐の衰退や危険な航海を避けるために遣唐使が廃止されました。大陸との国交が減少したことにより、日本の仏教文化は独自の発展を遂げ、神仏習合思想や日本独自の仏教建築や仏像様式が誕生します。

平安時代中期からは末法思想とよばれる歴史観が朝廷や貴族を混乱に導きました。末法思想とはブッダの入滅後、正しい教えが衰え、人も世もやがて滅びるという考え方です。

この末法思想のなかで浄土信仰(阿弥陀如来に願って極楽浄土に向かう信仰)が生まれ、阿弥陀如来が爆発的に流行します。この頃に建立された仏教建築として有名なのが、京都宇治・平等院鳳凰堂や岩手平泉・中尊寺金色堂です。

平安時代後期になると武士が台頭し始めます。平清盛は武士ではじめて律令制度の最高位である太政大臣に任命され、武士による国家統治の基盤を作りました。

平清盛は政治介入が激しい仏教勢力を抑圧するよう努めましたが、一門の独裁政治が波紋を呼び、源氏によって一族ごと滅ぼされてしまいます。

ここから明治維新まで武士が政権を握る時代が訪れます。平氏を滅亡させた源氏の棟梁•源頼朝は日本ではじめて幕府が成立しました。首都を鎌倉とする鎌倉幕府が誕生し、将軍が実権を握ります。日本は約700年間武士によって統治されます。

鎌倉時代の仏教

出典:https://www.instagram.com/p/CA7FivLjt7B/

鎌倉時代(1185年-1333年)にはさまざまな仏教が誕生し、一般の民衆にも仏教が広がっていきます。鎌倉幕府を成立した源頼朝もまた日本の仏教を庇護します。平安時代に戦火によって崩れてしまった東大寺を再建したことが有名です。

これまで仏教は一部の貴族だけの信仰でしたが、武士を中心に一般民衆にも広がり、鎌倉時代は日本に仏教が根づくことになった時代といえます。

禅もまた中国から本格的に導入され、現在の日本仏教の基礎ができます。禅は武士の精神に深く結びつき、武士からの信仰を篤く受けます。鎌倉時代の代表的な禅宗は栄西が開基した臨済宗、道元が開基した曹洞宗が挙げられます。

また念仏を唱えれば救われる、阿弥陀如来に祈ることで救われると言われた浄土信仰は、その信仰の手軽さから一般庶民に普及しました。

代表的な宗派は法然の浄土宗・親鸞の浄土真宗です。踊念仏の時宗や「南無妙法蓮華経」を唱えると救われるという日蓮宗も鎌倉時代に誕生しています。

室町時代の仏教

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

室町幕府は中国・宋の制度に倣って、臨済宗の禅寺に寺格を定め従持を任命しました。五山制度と呼ばれ、鎌倉と京都それぞれにある5つの臨済宗の寺院が定められました。臨済宗は幕府と朝廷に密接なかかわりを持つようになったため、今でも京都や鎌倉に臨済宗の寺院が数多くあります。

室町時代に代表される水墨画や書跡、仏教建築や枯山水庭園、茶の湯などは禅の影響を強く受けています。また禅の教えは武士の精神的支柱となり武士道の軸となりました。

名だたる戦国武将の多くは禅に帰依しており「無」の思想を取り入れることにより、死を恐れない強靭な心を養ったとされています。

江戸時代の仏教

出典:https://www.instagram.com/p/CR5JM7mL5da/
出典:https://www.instagram.com/p/CR5JM7mL5da/

江戸時代(1600年-1867年)は約250年間続いた平和な時代です。幕府は江戸(東京)に遷都し、日本は多くの国交を断絶する鎖国時代に突入します。

江戸時代は「寺壇制度(じだんせいど)」が確立し、地域と寺院がより密接なかかわりを持つようになりました。現在の日本仏教はこの習わしが強く残っており、無宗教だけどお墓はお寺にあるというのはこの制度を引き継いでいるためです。

出典:https://www.instagram.com/p/CLord2UFZAo/

寺壇制度とは特定の寺院が特定の檀家の葬祭を永続的に担当し、布施を受ける寺壇関係を基盤とし、宗門人別改帳を作成することです。江戸時代において、多くの一般寺院の役割は民衆統制で、寺壇関係によって戸籍管理が行われていました。

寺院が役所のような役割を担ったことにより、祭り、先祖の鎮魂などの年中行事を行う村や町の中心的存在になりました。寺壇制度は檀家制度ともよばれ、現在の日本仏教においてもこの制度が色濃く存続しています。

明治時代以降の仏教

江戸幕府が崩壊し明治時代を迎えると、幕府が廃止され皇室制度が復活します。明治政府は日本古来の信仰である「神道」を公式な信仰とし、仏教の弾圧を行いました。

この弾圧は「廃仏毀釈」とよばれ、多くの寺院が焼き払われ破壊しました。東京に歴史的な寺院が少ない理由としても挙げられ、日本史上の汚点の一つとも言われています。

明治以降の日本は軍事色を強めていきますが、太平洋戦争の敗戦と共に終焉を迎え、終戦直後はアメリカの統治下におかれます。

出典:Photo by Raúl Nájera on Unsplash

アメリカの占領当局は、日本に民主的で世俗的な政治制度を取り込みました。アメリカによる教育によって、さまざまな日本の伝統文化や思想が排除され、禅を基盤としていた武士道もまた鳴りを潜めました。一方で信仰の自由が認められたことによって、新たな宗教も誕生しています。

近世の日本の禅は明治時代にアメリカに禅を布教した鈴木大拙の教えが逆輸入されています。鈴木大拙は禅文化や仏教文化を英語で著し、海外に広めた第一人者として「近代日本最大の仏教学者」といわれています。禅の思想や学びは世界的に重宝されており、現代のストレス社会や未曽有の環境変化の対策として実用的な哲学とされています。

日本の仏教は先祖供養としての側面が多く、本来の教えが広く普及していませんでしたが禅がブームを迎えたことにより、哲学や日頃の行動指針・教訓として、一般的に取り入れられるようになっています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました