伊勢神宮のみどころ
伊勢神宮のみどころは内宮と外宮の荘厳な雰囲気です。整然として美しい玉砂利の境内には、樹齢が長い神聖な杉や伝統的な建築の社殿があり、ほかの神社とはまったく異なる風格が感じられます。ほかの神社とは別格な雰囲気があり、定期的に伊勢神宮参拝に訪れる日本人が多いことに納得できます。日本古来からのパワーが集まっており、不思議な力をもらえることでしょう。
一番おすすめの参拝日は冬至です。冬至の日の出はちょうど内宮の鳥居の真ん中に太陽が通ります。神秘的な情景は一年に一度しか見られないため参拝客が多いですが、伊勢神宮で絶景をみられる特別な日です。
伊勢神宮
伊勢神宮は日本最高位の神社とされ「日本人の心のふるさと」として古くから親しまれてきました。正式名称を「神宮」といい、名称に地名を持ちません。内宮と外宮とよばれる2つの正宮から成り立ち、内宮は皇大神宮、下宮は豊受大神宮と呼ばれています。神社の社格制度に属さない別格とされ、皇室や朝廷とのつながりが深く、現在も毎年内閣総理大臣が参拝するのが慣例となっています。
伊勢神宮は内宮と外宮の2つの正宮のほかに、別宮・摂社・末社・所管社をもち、計125の社宮の総称が神宮です。社宮は三重県の広範囲に分布しています。20年に一度、式年遷宮とよばれる正殿の造替が行われます。式年遷宮とは神座を遷し、全社殿が造り替えられる大規模な事業で、690年(持統天皇4年)に第1回が行われてから現在まで62回・1300年間続いています。
伊勢神宮のはじまり
今から2000年前、皇祖神・天照大御神は皇居の側に祀られていましたが、永遠に神事が続けられる皇居外に移りました。一時は大和の笠縫邑に移りましたが、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命によって、大和国から伊賀・近江・美濃などの国々を経て、伊勢国に遷座しました。
「日本書記」によると天照大御神が「この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。都から離れた傍国ではなるが、美しい国である。この国にいようと思う」と言ったとされています。倭姫命は現在の地に宮を建立し、皇大神宮(内宮)が遷座しました。500年後に通称・外宮とよばれる豊受大神宮が建立され、天照大御神の食事を司る・豊受大御神が祀られました。
伊勢神宮の歴史
古来より天皇の祖先とされる天照大御神を祀る伊勢神宮は日本国民から崇拝されてきました。天皇以外が幣帛(お供え)禁止される制度があったほど、ほかの社殿とは別格です。中世以降も日本の鎮守として多くの武士に崇敬され、江戸時代になると庶民の参拝が急増し「お伊勢さん」の愛称でお伊勢参りが流行りました。
明治維新以降には神道国策化政策によって、政府が日本最高位の神社に位置付けています。現在まで日本全国の国民から崇敬され、さらに海外からの参拝客も増えています。
天照大御神
天照大御神は日本の天皇の祖先といわれており、国生みの神・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子です。高天原(たかまのはら)といわれる天上世界を司る神で日本で最も知られています。
天の岩屋戸の神話(弟神・スサノオの荒々しい性格と乱暴によって岩戸に隠れた際に世界が闇に包まれ、岩戸から出てきた際に光が戻った)や国譲り神話(大国主神(おおくにぬしのかみ)に地上界の統治を約束し、その後子孫たちによって統治される)が有名です。天照大御神の伊勢神宮を陽の静的世界、大国主神の出雲大社を陰の動的世界とし、伊勢神宮は島根県の出雲大社と対極をなす神社として比較されます
三種の神器•八咫鏡
三種の神器とは、日本神話において天照大御神がニニギに授けた三種類の宝器のことで、剣・勾玉・鏡を指します。伊勢神宮には鏡が祀られており、正式名称を八咫鏡(やたのかがみ)といい、内宮のご神体です。八咫鏡は天照大御神が天岩戸に隠れているときにイシコリドメが作ったという鏡で、天照大御神が岩を少し開けた時に鏡を使って照らし、興味をもたせて岩戸から外に引き出したとされています。
三種の神器はほかに、通称・草薙剣(くさなぎのつるぎ)として知られる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)があります。草薙剣は名古屋にある熱田神宮のご神体とされ、勾玉は皇居煮て保管されています。2019年5月1日(令和元年)からは当分の間赤坂御所に移されるこになりました。
五十鈴川
五十鈴川は伊勢神宮の内宮を流れる川で、神宮参拝前に身を清めるための川として知られています。天照大御神を伊勢に移したとされる倭姫命(やまとひめのみこと)が着物の裾を清めたされ、御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれています。
伊勢神宮は内宮・外宮の順に参拝することが正式な順序とされ、五十鈴川でお清めをしてから参拝することがよいとされています。内宮参道の脇からは、石畳を敷き詰めた手洗い場があり、手水舎のように利用することができます。
伊勢神宮の境内
伊勢神宮は内宮・外宮を中心に125の別宮や摂社などがあります。すべての敷地は三重県の4市2郡に広がり、広大な敷地面積を誇ります。社殿によっては離れた場所にあり、内宮と外宮の移動はバスやクルマで利用するのが通例です。
内宮(ないぐう)
内宮は日本の総氏神・天照大神(あまてらすおおみかみ)にをご祭神とし、正宮と50の宮を持っています。五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、鳥居をくぐると、玉砂利と杉に囲まれた境内に入ります。広大な敷地にはさまざまな社宮がありますが、日本古来の建築様式である唯一神明造を採用しており、檜や茅葺の伝統的な手法が持ち入られています。
神楽殿
神楽殿は祈祷や奏楽・御神楽を行う社殿で、伊勢神宮では江戸時代の代表的な建築様式・入母屋造が採用されています。伊勢神宮で祈祷を申し込むと、中に入ることができます。祈祷は当日お神札授与所で申し込めます。札を渡されるので待合室で待っていると順番を呼ばれます。
黒く長い髪で伝統的なスタイルの保つ巫女さんの姿に感動することでしょう。祈祷が終わると御神饌と御神札が配られます。 御神饌は早いうちに食し、お神札は家の高いところに設置しましょう。
外宮(げくう)
外宮は天照大神の衣食住を司る・豊受大御神をご祭神とし、五穀豊穣・衣食住・産業の神様として知られています。正宮は正殿・西宝殿・東宝殿の3つから構成されています。社殿の周囲には板垣が張り巡らされており中を観ることはできませんが、拝所から伝統的な神殿様式が見受けられます。伊勢神宮の荘厳な建築はほかの社殿では見受けられません。
伊勢神宮の門前町・おはらい町
伊勢神宮参拝の際に忘れられないのが門前町の散策です。おみやげや飲食店が立ち並ぶ通りは「おはらい町」とよばれ、大勢の参拝客でにぎわいます。江戸時代には当時の人口の1/5が伊勢神宮に参拝に来たといわれるほど「お伊勢まいり」が流行しました。第二次世界大戦以降はレジャーの多様化によって参拝客が激減し、伊勢の伝統的な街並みを復活させてのが「おはらい町」です。
おかげ横丁
おかげ横丁はおはらい町にある飲食店や名産品店が立ち並ぶ観光スポットです。江戸から明治時代初期の伝統的な建物が再現され、昔ながらの雰囲気が味わえます。雨や風が強い伊勢特有の外壁「きざみ囲い」や妻に玄関を設けた「妻入り」など、伊勢の伝統的な建築手法が見られます。
ショップは伊勢銘菓・赤福をはじめ、地酒やミキモト真珠、伊賀くみひもなどの地元ならではの商品が並びます。おかげ横丁は縁日のような雰囲気なので、子どもたちも楽しめるはずです。
伊勢神宮の御朱印
伊勢神宮の情報
神社名 | 神宮(じんぐう) |
住所 |
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電話番号 | 0596-24-1111 |
拝観時間 | 1月~4月・9月 5:00~18:00 5月~8月 5:00~19:00 10月~12月 5:00~17:00 |
拝観料 | 無料 |
公式サイト | 神宮公式サイト |
備考 |
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